0.はじめに

愛・地球博」の開催等でますます注目の的となった「元気な名古屋」。その名古屋のことばはどんな風になっているのか?それについて調べようと思ったわけをここで説明します

 私は今、名古屋で仕事していますが、元々名古屋の人間ではありません。生まれは三重県四日市で、高校卒業まではずっと三重県内で生活していました。四日市から名古屋まで電車で30分程度で行けるにもかかわらず、この2つの土地はことばが全く違っています。例えて言えば「コーヒーと紅茶」ほど味わいが違うと思いました(←何のこっちゃ)。それは木曽三川(木曽、長良、揖斐の3つ)によって分断されているためであるのは言うまでもありません。しかしそれだけでなくこの2つの土地の人々は、相手方が具体的にどんなことばを使っているのか、お互いよく知らないのです。「有り得ない!」と思われるでしょうが、実際私は高校時代の友人に名古屋のことばについて次のようなやり取りをしたことがあります。

エピソード1
       私: 名古屋におると、俺のことばが目立ってしもてなあ
       友: 嘘やろー!名古屋のことばって俺らと同じなんちゃうの?

これは極端な例かもしれませんが、とにかく名古屋の人と三重県の人が出会うと、お互いカルチャー・ショックを感じることは間違いありません。

 名古屋のことばについて最初に知ったのは小学校高学年ごろです。プロ野球・中日の応援誌『月刊ドラゴンズ』の連載漫画で主人公が「〜だぎゃ」「〜なのきゃ」ということばを使っていました。ただこれは一部の表現を誇張したもので、名古屋弁については断片的な情報しか伝えていませんでした(漫画だから当然なんでしょうが。ちなみ主人公以外はほとんど標準語でした)。
 本格的に名古屋弁について知ったのは高校に入る頃です。名古屋出身のユーモア作家・清水義範の「金鯱の夢」とか「蕎麦ときしめん」という小説の中で登場人物の会話がほとんど名古屋弁で書かれていました。ここでの名古屋弁は言うまでもなく世間で通用している「みゃあみゃあきゃあぎゃあの名古屋弁」です。これを読んで「名古屋弁て面白いなあ」という感想を持ちました。愛知県の大学に入ると決まった時は、「名古屋弁が聞ける!」などとミョーな期待を抱いて名古屋、愛知県に来たのです。

◎現実に目覚める日
 おそらく大半の人におありでしょう。「猫みたいな名古屋弁を期待して来てみたら実際には名古屋の人がほとんど共通語ぽいことばでしゃべっていてガックリ来たという経験が!私もまさしくその一人でした。もちろん私だっていくらかの断片的な情報を聞いていて、「みゃあみゃあは言わない」ということは予想が付いていました。ただ昔ほどではないにしても、もう少し方言ぽい、何と言うか「新方言」みたいなことばを名古屋の若い人が話しているのではないか、と思ったのです。またエピソードを書きますが、高校時代に四日市でバスに乗っていた時、次のような会話を交わす女子大生らしき二人がいました。

エピソード2
   A:名古屋の人らって、あたしらとしゃべり方ちゃうことない?
   B:なんかやたら語尾に「〜がー」って付けるやろ。「〜がーがー」って

「〜がー」とは後で詳しく説明しますが、名古屋弁の中で有名な「〜がや、がね」の末裔にあたる言葉です。しかしこれを使う場面に出くわすこともあまりありませんでした。それほど名古屋のことばの「共通語化」または「東京弁化」は進んでいたのです。こんなことを言えばすぐ「名古屋人はよそ者の前では名古屋弁を隠してるんだよ」という声が上がるでしょう。しかし東京ならいざ知らず、名古屋の地下鉄で友達同士と思しき中高生が著しく共通語というか東京語に歩み寄った話し方をしているのです!その後、名古屋で生活しましたが、何回名古屋人同士の会話を聞いても結果は同じです。また直接に名古屋弁は使わないのかと質問しても、「あれはお年寄りのしゃべり方だ」とか「無意識的に名古屋弁が出ない」という答えばかりでした。他方、私自身のことばも笑われたりすることもあって(反発はしていましたが)、少し自信をなくしかけたことが(当初は)ありました。「もう近畿以外では方言は消えたのかな」なんて思ったこともありました。


◎埋もれた素顔
 しかし・・、とりすました仮面の下に、実は豊かな素顔が隠されていたのです長く愛知県にいると、意外にもことばの所々に方言的な特徴が残っていることに気づいたのです。つまり名古屋弁は共通語とボーダレス化境界線の消失)」したことばとなったのです。「ボーダレス化」については別のところで説明しますが、とにかく名古屋については関西とか九州などと同じように考えると、かなり間違います。それは地域の特性やそれによる東京ないし共通語との距離感に関係しているのですが、このような地域の人々のことば意識についても考えていきます。
 ところで大学は三河地方にあったこともあり、三河弁を聞く機会が結構あり、それについても多くのことを知ることができました。岐阜県についても、です。たまたまですが、静岡県や長野県の人もいて、ことばについて色々話を聞くうちにイメージが広がってきました。


◎書き留めたい姿

 ここまで言えば、私がこのホームページで何を言いたいか、お分かりになっていただけるでしょう。これまでほとんどの文献が、否定的にせよ肯定的にせよ、「伝統的な名古屋弁の特殊性」ばかり取り上げてきましたが、ここではより多く「名古屋ことばの今の姿」を紹介していきます。何でかと言えば、伝統的な方言だけ見ると、「さびしいけど結局方言は消えていくものだ」という決まりきった結論に落ち着くのは目に見えています。
 伝統方言も大事ですが、それについては既に多くの人が書いています。私は「変わっていくにしても、それぞれの地域のことばは個性を持って残っていく」と言いたいのです。言うなれば方言書の解説と現在の街の状況の「ミッシング・リンク」(溝)に橋を架けたいのです。またまたエピソードを差しはさんで恐縮なところですが、私は名古屋駅から栄に向かう地下鉄の中で次のような光景を見ました。

エピソード3

     私の前をカップルと思しき二人が立ってきた。女の方は地元・名古屋に久しぶりに帰省、男の方は東京方面から初めて名古屋に来た、という様子だった。会話している間、男の方は「聞きたくてたまらない」という様子でしばしばこう言った。
    「あの、名古屋弁があんまり聞こえないよね〜。」

しかしこのセリフを女の方は完全に黙殺していた。そうして駅で二人は降りた。

前で見ていて非常に気の毒な感じはしましたが、もちろん私が教えてやるようなことはありませんでした。よっぽど教えてやろうか、とウズウズしてはいましたが・・。
 
 最近、「元気な名古屋」ということでこの街は注目を集めていますが、エピソード3の人のように疑問を感じても分からないままで終わっている人が多いと思います。このホームページはそのような人に読んでもらいたい、ということも考えました。
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◎三重県民 名古屋弁との出会いと夢

◎東海・中部 ことばのネットワークへ
 また表紙をご覧になって「なぜ東海三県だけでなく、静岡長野まで入っているのか」という疑問をお持ちの方もいらっしゃるでしょう。なぜこうしたかと言えば、「名古屋を中心とした東海三県だけ取り上げたら、これらの地域がそこだけ特殊と思われてしまう。それが嫌だった」ということです。考えてみれば当たり前のことでしょうが、隣同士の地域は互いに交流しあうものです。山や川で隔てられているケースもありますが、それを越えて交流が存在していることも多いのです。方言は各地域でそれぞれ個性的ですが、隣同士では「連続性」と言うか「共通点」も当然あります。このように「地域はそれぞれ個性的だが、たくさんのネットワークでつながりも持っている」というイメージを方言から読み取ってもらいたいと思いました。できれば方言から各地域の地理・歴史など奥深い面も汲み取ってもらえればいいのではないかと思います。このページは名古屋のまちと人への思いのたけのようなものを書きましたが、どれほどそれを書ききれたか、いささか心もとありません。それでも名古屋や東海地方の隠れた魅力を広く知ってもらいたいと思って開きました。

 それでは思いのほか奥の深い「東海ことばの世界」へご案内しましょう!