サグラダファミリアの後はへ行った。移動には地下鉄を使う。初めてスペインで地下鉄に乗ったわけだが、路線が充実していて使い勝手がいい。
 港にはヨットハーバーがあり、「港町」の雰囲気をかもし出していた。

 バルセロナは地中海に面した港町である。このことは何気なく聞こえようが、この街の歴史に重い意味を投げかけている。

 バルセロナの歴史はローマ帝国時代の港町から出発した。とは言えこの時代には数多くある港町の一つに過ぎなかった。
 本格的な発展は中世に「バルセロナ伯爵国」の首都となった時に始まる。
 中世初期にフランス、ドイツ、イタリアを領域とするフランク王国というのがあったが、バルセロナ伯爵国はその西南の防衛拠点として出発した。これは当時怒涛の勢いでスペインを支配下に置いたイスラム勢力の対抗の意味合いがあった。フランク王国の西半の後継者となったフランスもバルセロナの宗主国だったが、徐々にバルセロナは自立していく。この北側のフランスとの関係はその後も相互がちょっかいをかけることで続いていく
 
 バルセロナ伯爵国は後に「アラゴン王国」と呼ばれるようになる。バルセロナを中心とするカタルーニャ州の西隣にアラゴン州がある(州都はサラゴサ)。アラゴン王国の元々の領域は現在のアラゴン州にほぼ相当するが、バルセロナ伯爵とアラゴン王女の結婚によって両国は連合を組むことになった。看板としては格上の「王国」だったアラゴンが使われたが、国力で優るバルセロナが実権を握った。世界史で「アラゴン王国」「スペインのアラゴン家」が出てくるが、その実態は「アラゴン王を兼ねるバルセロナ伯爵の領国」だったわけだ。

 連合を組んだ後、アラゴン王国は一気に国力を高め、南下してバレンシアを征服。その後は東の海に乗り出して、南イタリア、さらにギリシアの一部までを征服。地中海帝国が実現した(下の図1参照)。バルセロナは王国の首都、そして地中海交易の中心地として黄金時代を迎えた

 しかし中世末期(15世紀)には交易が衰退したあおりで王国も力を失う。そして現在のスペイン中部を占めるカスティリャ王国(後に首都をマドリードとする)に吸収合併される形になった。これが現在の「スペイン王国」の始まりである。

 アメリカ大陸に到達したコロンブスはバルセロナに帰港したが(1492年)、これがバルセロナの「最後の輝き」となったのは皮肉だった。国際貿易の中心が地中海から大西洋に移ったのは大きな痛手だった。さらにマドリード中央政府から自治権を剥奪されるなど、沈滞したまま2,3世紀が過ぎた。
 その後19世紀の産業革命でバルセロナは復活を遂げる。王や貴族がいないだけにマドリードよりは自由な気風があり、フランスに近い「地の利」も大きかったと思われる。

 私の旅に話を戻そう。
 コロンブスの塔の周りには大勢の外国人観光客が写真を撮っていた。塔の頂上をさることながら、下部にも多くの精巧な彫刻が施されており、美術的にも価値は高い。

 その後は旧市街まで徒歩で行った。港町から始まったバルセロナは港と旧市街が近い。旧市街はバルセロナの黄金時代だった「中世」の雰囲気を今に残すだけに見所が多い。

バルセロナA

地中海帝国の残影

モンジュイックの丘から見たバルセロナ港。地中海を航海する船が停泊する。
バルセロナ港を睥睨するコロンブスの塔
港内を走る遊覧船
次ページへ
  図1:最盛期の中世カタルーニャ帝国」

田澤耕『物語カタルーニャの歴史』(中公新書)より転載。