旧市街をしばらく歩いた後、カテドラル(大聖堂)に入った。内部の見学が目的だが、休憩するためでもある。一日かなり歩いたので、疲労が限界に達していた。この不埒な考えで聖堂に入った私だが、聖なる空間は慈悲深く私を休ませてくれているようで、有難かった。
 ちょうど夕方のミサ(祈りの儀式)の時間になって大勢の地元の人が入ってきた。私はクリスチャンではないが、有難くミサに参加させてもらった。ミサの参加は自由である。意味も分からぬまま賛美歌を歌ったり、周りの人と握手したりした。
 聖歌隊の合唱は素晴らしかった。歌もさることながら、指揮者の若い女性がなんとも美しかったので、心が洗われる気がした(笑)。

 その後フラメンコショーを予約してあったので、途中退席して道を急いだ。その途中の市庁舎前で「サルダーナ」に出会ったのである。
 
 「サルダーナ」とはバルセロナを中心とするカタルーニャ地方の民族舞踊である。傍目には「ただのフォークダンスで面白くもなんともない」と思えるが、地元カタルーニャの人にとっては民族の誇りに関わるものである。
 どうということのない踊りの「サルダーナ」はかつて中央政府から弾圧の対象となった。フランコを中心とする軍部独裁政権(1939〜1975)は「地方の独自の文化はスペインの分裂をもたらす」ということで、地方独自の言語や風習を徹底的に弾圧したのである。「サルダーナは弾圧されることで、かえって民族の誇りとなった
 フランコ死後の民主化で、サルダーナは華々しく復活した。
 私は話に聞いていたサルダーナが現実に見られて、非常に得した気分になった。

 一方、フラメンコはスペインの象徴のような踊りだが、その発祥は南部アンダルシア地方(中心はセビーリャ)である。アンダルシアはモロッコの対岸だけにイスラム文化の影響が強い。フラメンコやそれに使われるギターは「アラブを感じさせる」という(フラメンコの起源については後述、アンダルシアの項を参照)。

 発祥はそうであっても、フラメンコはスペインの国民文化と扱われている。その理由は20世紀に入ってからの中央政府の政策が絡んでいるらしい。ともすればフランスやイタリアと変わらないスペインの民俗文化だが、それにことさら独自性を強調するためにフラメンコが全国に普及させられたようだ
 おそらく初めてバルセロナの人々がフラメンコを見た時「なんともアジア風だな」と思ったことだろう。地中海に面し、フランスとも近いバルセロナの人にとっては、アンダルシアの踊りはことさら異様に見えたに違いない
 
 とはいえ、初めは外来のものであっても、今ではすっかり定着して娯楽の一部になっているらしい。私が行ったフラメンコの会場は地元では人気店だという。
 
 若くて美しい女性ダンサーが踊っている途中で、大層太った小母さん歌手(座長らしい)がしゃしゃり出てきて歌いだす様子は爆笑モノだった。明らかに受け狙いだが、本来フラメンコでは歌が主役だそうだ。
 歌詞は「お前に捨てられた私の心は嵐のように荒れ狂っている」という単純だが情熱的なものが多く、それが魅力になっている。歌手でもホアキン・コルテス(ナオミ・キャンベラと交際していたことで有名)のように若者に人気を博している者も多い。
 このショーの小母さん歌手も容姿はともかく、歌は素晴らしかった。もちろんダンスの方も素晴らしく楽しかったのは言うまでもない。予約していた自分の決断に満足した。

 こうして私のスペインにおける「濃すぎる初日」は終わった。

バルセロナの大聖堂カテドラル
カタルーニャ地方の民族舞踊”サルダーナ”。 バルセロナ市役所前で。
夜のフラメンコ・ショー。女性ダンサーの動きに東洋風を感じる。
バルセロナB

二つのダンス

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