コルドバ、セビーリャと一日過ごして、アンダルシアを大いに満喫した。
一日を締めくくるため、大聖堂からホテルまで旧市街を歩くことにした。で、方向音痴の私は大いに迷い、
「ドンデ・エスタ・アキ?(ここ、どこですか)」
という怪しいスペイン語を連呼しまくってようやく戻れたわけである。(正しくは、「アキ・ドンデ・エスタモス?(ここはどの辺りですか)」)
とは言え、収穫が無かったわけではない。旧市街を歩くことでアンダルシアの雰囲気をより深く感じられたのだ。
アンダルシアの街は、セビーリャもコルドバも共通したものを持っている。白い家々、オレンジの木、ちょろちょろした噴水、そして開けっ広げな人々。この感覚こそがアンダルシアなのだ。私の泊まったホテルも一面白い大理石の部屋で、中庭に噴水を持つという具合にアンダルシアをとことんアピールしたものだった。そしてセビーリャもコルドバも旧市街を走る馬車が旅情をかき立てる。
このような雰囲気は南イタリア、ギリシア、さらに対岸の北アフリカ(モロッコ)など地中海岸に共通したものと思われる。日差しの強いこれらの地方では白い材質の家は日よけとして必須なのだろう。
アンダルシアと対岸の北アフリカとの関係は、古代ギリシア・ローマの頃から深いものがあった。中世のイスラーム時代も多くの面で深い関係にあったことは既に指摘した。近世にキリスト教スペインとなってから「イスラーム教徒追放令」が出されたが、大勢のアンダルシアのイスラーム教徒が目指したのは対岸の北アフリカだった。現在も彼等の子孫がモロッコに住む。また現在はモロッコからの移民がアンダルシアに多い。
こうしたことからアンダルシア全体にアラブ・イスラームの影響を感じるのも当然のことと言える。
この辺りのことは既に述べた『探検ロマン世界遺産』で取り上げられていた。
余談ながら、この回は松任谷由美が案内役となり、フラメンコの起源を追うのがテーマだった。結論を言えば、起源は確かにアンダルシアのイスラーム教徒が作った楽曲だが、それをヒターノ(ジプシー)がアップテンポな舞踏に発展させたのだという。このため著名なフラメンコ歌手には、ホアキン・コルテスなどヒターノ出身者が多い。
フラメンコがアンダルシアで生まれたのは、異文化に寛容なこの地の雰囲気によることが大きいと考えるべきだろう。ちなみにヒターノ女性を主人公としたオペラ『カルメン』の舞台はここだ。
私の方に話を戻せば、グアダルキビル川沿いで美しい夕景の写真を撮り、さらに7時ごろ川沿いのバル(軽食屋)に入った。川を見て食事を摂りながら、アンダルシアの歴史と現在に思いを廻らしていた。この川の港からコロンブスがアメリカ大陸に乗り出し、おかげでこの街はアメリカとの交易港として栄えたのだ。
上) AVEが停車するセビーリャ中央駅(サンタ・フスタ駅)。 下) 近代的なセビーリャ新市街。 |
セビーリャ中心部のグアダルキビル川。 現在でも船が行き交い、旅情を掻き立てる。カヌーのレースも行われる。 |
アンダルシアな日々(前編) 〜イスラームの香り〜
セビーリャ旧市街の光景。 白壁の家々はアンダルシアの特徴だ。 |