二日目はバルセロナから列車で1時間かけて「タラゴナ」という街に行った。列車に乗るまで駅員に怪しい英語を駆使して質問するという苦労があったのは言うまでもない。
タラゴナ。ここは古代ローマの遺跡を残す世界遺産の町である。
古代ローマ帝国の時代(前2世紀〜4世紀)、スペイン・ポルトガルのイベリア半島は3州に分けられていた。タラゴナは、そのうちの半分超を占める「タラコネンシス州」の州都であった(領域的には現スペインの東部と北部)。往時の人口は3万人で少ないように見えるが、地方中核都市としては有数の規模であり(ローマ時代の一都市の平均人口は5000〜1万人)、イベリア半島では最大だった。なお現在は人口6万人である。
車窓から見える地中海の景色も良かったが、タラゴナに着いてみると海岸の景色はさらに素晴らしかった。青く穏やかな海に船が走っている。古代ギリシア・ローマ時代の光景が目に浮かぶようだった。
メインは円形闘技場である。ローマで言う「コロッセオ」。ローマのものより当然小ぶりだが、よく原型をとどめていて、かつての様子が忍ばれる。何より海の間近というのが情緒がある。
円形闘技場は「奴隷である剣闘士(グラディエーター)同士の殺し合いを見学する場」ということで、かつてはローマ人の堕落の象徴のように言われていた。しかしここ30年の研究動向は、剣闘士がそれなりに社会で敬意を払われており、誇り高い職業だったということを主張している。さらに必ずしも剣闘士が奴隷だったわけではなく、自由民が名誉と報酬を求めてなる場合もあったという。つまり現代の格闘技選手をめぐる状況と似ているというわけだ。
この辺りのことは塩野七生が『ローマ人の物語』でも主張しており、私もその影響を受けていることは間違いない。
闘技場を見ているうちに3人の剣闘士の姿が浮かんできた。かつて映画やDVDで見たような3人。 その1は、長髪でひげ面のマッチョマン。その2は、短髪で喧嘩早そうな兄貴。その3は、物静かで理知的な黒人。 3人は私に語りかけてきた。 その1 「俺達に同情するのは無用ってもんだぜ、未来のお人」 その2 「試練に耐えて勝った後、客の歓声を独り占めにする瞬間は最高だ。 それを夢見て歯を食いしばってる俺達を可哀相だってのか!」 その3 「普通に暮らしてれば、そんな喜びは味わえない。俺達は誇りを持ってこの職に就 いた。例え最後は屍を晒してもいいとな。それも一つの人生じゃないのか」 私は何も言い返せなかった。もちろん妄想である。小説で使えるなあ、なんて。 |
ところでこの日は月曜だったので、闘技場はじめ観光施設は全て閉まっていた。しかし闘技場は外部から見ることができるし、他の施設も外から見れるものばかりだった。つまり私は全くお金をかけず、タラゴナを堪能できたわけだ。
古代ローマの城壁。水道跡。初代皇帝アウグストゥスの彫像など見て歩くだけで十分満足できた。
さらにタラゴナの旧市街も素晴らしかった。タラゴナの街は古代末期のゲルマン人の侵入で大きく破壊されたが、中世に復興した。現在の街はこの中世のものを基にしている。
街中は、人口6万にしてはかなり活気が感じられ、観光客も多かった。タラゴナの街の在りようを探ることで、沈滞気味の日本の地方都市が復興する手がかりが得られるのでは、と思ったりもした。
こうしてタラゴナの旅は終わった。大都市で味わえない、スペインの田舎町の風情を感じられたのは大きな収穫だった。
海の光景を楽しみながら、バルセロナに戻った。
幻影の古代ローマ
地中海に面したタラゴナの海岸。 ここの展望台は「地中海のバルコニー」と呼ばれる。 |
タラゴナの新市街と旧市街。 |
タラゴナの円形闘技場。この一帯の遺跡は世界遺産に指定されている。客席から地中海と船が航行する様子を見れるのはここならではの贅沢だ。 |