セビーリャ滞在は一日だけだったわけだが、名所を全て巡っても半日余りそうだった。というわけで、AVEで50分ほどのコルドバという街を目指した。昼前に到着し、4時ごろにセビーリャに戻るというプランである。

 アンダルシアの都市としては、「アルハンブラ宮殿を擁するグラナダが有名だろう。しかしセビーリャから片道で最短3時間かかるとあって断念せざるを得なかった。

 コルドバも世界遺産を多く抱える都市として有名である。AVEで到着した中央駅からタクシーで10分程のところに世界遺産を抱える旧市街がある。
 タクシーから降りた後まず目に付いたのが「ローマ橋」だった。ローマ帝国はスペイン全土を支配下に置き、多くの遺産をもたらしたとりわけスペイン語の基になったラテン語と橋、道路、水道といったインフラは現在にまで影響を及ぼしている。コルドバを含むアンダルシア州は、ローマ時代には「バエティカ州」とされ、多くの都市が繁栄する地域だった。この橋がその残光の際たるものである。

 橋を渡って向こう岸に監視塔があり、内部が博物館になっているというので入館した。さだめしローマ時代の様子が展示されているだろうと思いきや、大部分が中世のイスラーム時代のものだったのである。
 そう、コルドバの全盛期はイスラーム王朝の首都となった時代だった。

 ローマ帝国崩壊後のスペインでは、ゲルマン人の「西ゴート王国」がキリスト教王国として栄えた。
 その後711年にイスラーム勢力が進入し、数百年スペインの大部分がその支配下に入った。領域的にはスペインの中部と南部がイスラーム領である。しかし北辺部はキリスト教勢力がいくつかの王国に分かれて割拠していた。以後、大雑把に前半はイスラーム勢力が優勢だったが、後半はキリスト教勢力が攻勢に転ずるという形でスペインの中世史が展開する

 コルドバはそのイスラーム・スペインの首都として栄えた。「メスキータ」はその輝かしい記念碑である。メスキータとはすなわちモスク(イスラーム寺院)であるが、キリスト教勢力の支配下に入って後、大聖堂に転用された。
 

(上)世界遺産となっているコルドバ旧市街
(下)ローマ橋の監視塔から展望するコルドバ市街。
コルドバ@

イスラーム・スペインの閃光(前編)

図5: 中世スペイン、レコンキスタ(キリスト教徒の再征服運動)の展開
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コルドバの象徴、メスキータの鐘楼と外観。春の日中は多くの人が訪れていた。
コルドバをはじめアンダルシアの街にはオレンジの木々が多い。