承前))

そのメスキータに入ると大勢の入館者でごった返していた。ちょうど春休みなのか、地元の小学生と思しき集団が遠足に来ていたようだった。
 
 イスラームは神を像として礼拝することを禁止している。元来がモスクであるここの内部も幾何学模様の壁面装飾があるだけでガランとしていた。しかし大聖堂となった後は、キリストやマリア、ほか聖人達の像と多くのキリスト教的装飾が施されることになる。豪華なのは結構だが、他の所でもさんざん見たので私は食傷していた。
 
 むしろ素晴らしいのは白とオレンジで縁取られた円柱である
。これこそがイスラーム時代の雰囲気を伝える貴重な遺産であり、コルドバのシンボル的存在である。

これについて面白いエピソードがある。キリスト教勢力が奪還して、ここを大聖堂に転用することになった時のこと。スペイン王は地元の反対を押し切って建物の一部を壊すという再建策を許可した。やがて完成の後、王が視察してこう言ったという。

 「世界で一つだけものを台無しにしてしまった!

この王の嘆きから分かるように、イスラームの建築物は非常にレベルの高いもので、キリスト教徒をも魅了していた。

 建物だけではない。イスラーム勢力は中世初期(8世紀〜11世紀)が全盛期だったが、この時代には学問水準ではヨーロッパよりも中東イスラーム世界の方が上だった。特に自然科学や哲学の分野では後にヨーロッパの学者が率先して摂取するほどだった。その名残りは「アラビア数字」など多くの文物がアラビア起源であることに現れている。

 スペインもイスラーム世界の一員として多くの学問的業績を上げた。コルドバもその首都として多くの学者を輩出し、「学都」と呼ばれた
 「イスラームは狂信的」という西側諸国のイメージからはこの事実は意外極まりないだろう。だが、元来イスラームは神の叡智を知るには学問を修めるべきということで、学問は推奨されるべきものだった。古代ギリシア・ローマの学問も一度イスラーム世界で受容・発展させられた後、ヨーロッパのキリスト教世界に伝わった。
 博物館で見たコルドバ出身のある哲学者の発言が印象的だった。

「神の叡智を探求することは、学問によって広い世界を知り、理性を高めることによって行われねばならない。熱狂的信仰によってではなく」

この考えは現代でも通用するものだろう。

 旧市街のバルでパエーリャを昼飯で食べた後、「アルカサル」に行った。ここはローマ時代に砦として建設されたが、イスラーム時代に大幅な改修が行われた。内部の庭園はその大きな遺産である
 イスラーム教徒は既に紹介したように、灌漑など水を扱う技術で現在にも恩恵をもたらしている。この庭園もその技術がいかんなく発揮されている。噴水や池など水が豊かで、花が咲き乱れるのは往時のイスラーム文明の豊かさが感じられた。

 こうして大満足の態で私はセビーリャに戻ることにした。3時時点で気温は25度。暑さを感じながらも、私の心は満たされていた。

コルドバA

イスラーム・スペインの閃光(後編)

アルカサルと内部の庭園
世界史に残る傑作、メスキータの円柱群
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