セビーリャには4時に戻った。大慌てでタクシーに乗り込み、一番の名所である「大聖堂」に行ってもらった。入場時間が5時までなので焦ったが、なんとか間に合った。
 ところでスペインのタクシーは、狭い旧市街の道も平気でスピードを落とさずに走る。傍から見てヒヤヒヤものだが、私が見た限りなぜか事故には遭遇しなかった。器用なことだ。

 大聖堂に行くまで、旧市街の白い家々が続いていた。これは「旧ユダヤ人街」だという。これを語るため、スペイン中世史の話をせねばならない。
 
 既に述べたように、スペイン中世の前半はイスラーム勢力が優位を占めていたが、後半はキリスト教勢力による再征服運動(レコンキスタ)の時代となる。
 レコンキスタは11世紀にイスラーム勢力の衰退によって始まった。これはほぼ同時期の「十字軍運動」に影響された側面もあった。
 まず1084年に中部のトレドがキリスト教側に奪還された。少し間を置いて、南部アンダルシア地方に達したのは13世紀前半である。1236年にコルドバ、1248年にセビーリャを奪還し、ほぼキリスト教勢力によるスペイン再征服は達成された図5: レコンキスタの変遷図を参照)。 イスラーム勢力の中で「アルハンブラ宮殿」で有名なグラナダ王国は存続したものの、スペイン南端を占めるに過ぎず、しかもキリスト教王国に貢納金を支払うことでようやく存続を許されたに過ぎなかった。

 上で述べたようにレコンキスタは一旦中断してはまた再開という形だったが、そうなったのはキリスト教勢力が一枚岩でなく、複数の王国が対立・抗争していたからだ(イスラーム側も同じ)。またキリスト教側とイスラーム側は政治的に対立していても、平和時には共存しており、交流もあった。
 イスラーム時代には、キリスト教徒、さらにユダヤ教徒はイスラームへの改宗を強制されたわけではなく、一定の税を払えば信仰を守ることができた。イスラームが支配的であっても、他宗教の信者が様々な面で活躍していたことを忘れてはならない。特にユダヤ教徒は、イスラーム時代に経済面で多く活躍した。先のユダヤ人街はその時代に形成されたという。
 キリスト教時代になってもしばらくはユダヤ、イスラームの両教徒は存続を許された。さらに両者の習俗が入り混じる現象も珍しくなかったという

 この辺りのことを帰国後にテレビで見た『探検ロマン世界遺産』で詳しく取り上げていた。

「アンダルシアでは我々の想像も絶する交じり合いが起こっていた」

という。
 その最たる例がセビーリャの「アルカサル」である。これはアルハンブラ宮殿のようにイスラーム的な様式の宮殿だが、実は建設者はキリスト教徒の王だったのだ!キリスト教徒がイスラームの文化にあこがれて自らの物として取り入れたというのは驚きだ。
 ところで私はこれを実地で見ていない。テレビでこの事実を知り、かつ内部の素晴らしさを見て地団太を踏んだわけだもうやだ〜(悲しい顔)

 セビーリャ大聖堂も元はモスクだったと聞いて驚いた。そのシンボルたる「ヒラルダ風見の塔」は「ミナレット(礼拝告知塔)」を鐘楼として改造したものだったのだ。ただし大聖堂本体はモスクが地震で倒壊した跡に新築したものだ。

これを建設前にセビーリャ市の有力者が次のようなことを決議したという。

建設者は発狂したか、と後世の人が思うようなとてつもないものを建てよう!

 実際、大きさといい、彫刻の豪華さといい、度肝を抜くものだった。「芸術は爆発だ!」を地で行くかのようである。「あんた達はどこまで本気なんだ?」と言いたくなる・・。スペインでは最大の聖堂であり、ヨーロッパでもローマ、ロンドンのものに次ぎ、三番目の大きさという。余談ながら、聖堂の中に「コロンブスの墓」があるとガイドブックに書いてあった。
 しかしメインはヒラルダの塔からの展望である。これにはエレベータなる近代の利器は付いていない。というわけで、疲労した体にさらに疲労を重ねて登ることになる。確か20分以上かけて・・。しかしそうした苦労が報われるほど展望は素晴らしかった。満足の態で降りていくと、地元の小学生の集団と出会った。彼等は無事頂上にたどり着けただろうか(笑)。

 ところで入場前に受付で面白いことがあった。受付嬢が3人いたが、うち一人がアジア系だった。私は少し彼女に気を留めながらも先を進もうとしたら、黒人の受付嬢が英語で「あなた、日本人?」と聞いてきた。少し間を置いてスペイン語で
 「ソイ・ハポネス(僕は日本人です)」
と答えると、「×××ハポネッサ」と言った。おそらく「こちらの彼女は日本人よ」と言ったのだろう。
 日本人の受付嬢はこの事態に笑い転げながらようやく一言、おそらく久しぶりの日本語を話した。

「あ、どうぞお気を付けて」
「ああ、どうもすいません」

と私もこの事態の可笑しみをかみ締めながら返答した。
 彼女とのやり取りはそれだけだったが、さまざまなものを見て予想以上の感動を味わった上に、最後に愉快な出来事に遭遇して、私は非常に得した気分になった

セビーリャA

驚異都市はイリュージョン

後世人の度肝を抜き続けるセビーリャ大聖堂。ここをバックに馬車は映える。
セビーリャ大聖堂のシンボル、ヒラルダの塔。元はイスラーム教徒の礼拝告知塔だった。
上) ヒラルダの塔からセビーリャ市街の遠望
下) 馬車が行き交うセビーリャ旧市街の中心部
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