ベルナベウ・スタジアムの見学を終えた時、5時近くになっていた。しかしスペインの夜は遅い。というわけで、マドリード一日目の締めくくりとして「ソフィア王妃芸術センター」を訪れた。

 「ソフィア王妃芸術センター」は中央駅であるアトーチャ駅の近くにある。夕方ということで人通りが多くなっていた。そして宮殿と見まがうような建物に入った。ここだ。
 中に入るとかなりのスペースなので、歩き疲れた体にさらに疲労が加わった。展示が多い上に、正直言って近現代の美術は理解不能なので、頭が朦朧としてきた。後で知ったが、ミロやダリといった巨匠の作品もあるという。
 しかしここでは「これこそ世界遺産」と言うべき作品がある。

ピカソゲルニカ」(!)だ。

体も心もフラフラな私だったが、この作品の前では緊張した。

 「ゲルニカ」は横8m、縦3.5mという巨大な作品である。残念ながら写真を見せられないが、ピカソの作品で最も有名なので、ぜひ書籍で確認してほしい。絵の大きさもさることながら、存在そのものが巨大な「世界遺産」である。この絵はスペイン現代史の重い背景を背負っているこの絵はピカソの告発」なのである。
 
 スペインは第1次大戦後、王家の度重なる失政により王政が廃止された。その後共和国となったが、政争が続いて国民経済も苦しい状況となる中で、「スペイン内戦」(1936〜39年)が始まった。時代的には第二次大戦の直前である。

 3年以上続いたこの内戦は、「民主主義勢力である共和国政府」に対し、「ファシズム(全体主義)勢力のフランコら軍部」が反乱を起こした、と説明されることが多い。政府側には英米やソ連、さらに民主主義支持の各国義勇兵が加勢したが、フランコ側はなんとヒトラー・ドイツが後押ししたからだ(余談ながら、義勇兵の中に「ジャック白井」なる日本人がいたという話もある)。
 もっとも共和国政府の実態は「呉越同舟の諸勢力の寄り合い」であり、国民そっちのけの政争に明け暮れた上に苛烈な粛清を行うなど「民主勢力」と呼ぶには躊躇われる面も多かった。さら内戦後期にはソ連の傀儡と化して、支配下の民衆を酷薄に統制したため民衆の支持を失っていった。

 さて他方のフランコ陣営だが、これが批判されるのはヒトラーについたから、だけではない。もっとも批判されるのは、反フランコ派の巣窟とされていたバスク地方の都市「ゲルニカに無差別大量爆撃を行ったことである。それもナチス・ドイツの空軍の力を借りて、である。これは第二次大戦を通して行われる一般大衆への無差別爆撃の先駆だった。
 
 ピカソは折りしもパリ万博の展示作を構想中だったが、この爆撃の残虐性への怒りが大作「ゲルニカ」に結晶した。この作品の特性である

「一見こっけいだが、不思議な暗さと重さを持つ」

ということの背景はこのようなものである。

宮殿と見まがう農林省の官庁。
ゲルニカ」など現代美術を展示するソフィア王妃芸術センター
マドリードB

ピカソからスペイン史を読む(前編)

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