テリトリー・オブ・尾張弁2 完結編  投稿者:作者 若鷹  
  続きです。
 
B東の三河について。「みゃあみゃあの尾張弁VS「じゃんだらりん」の三河弁。信長・秀吉の尾張VS家康の三河、という具合に昔から対照的な両者。なぜこんなに違いがあるのか、ちょっと不思議です。尾張と三河の間には境川」というのがありますが、これが境界線をなすほどのものと思えないほど大きな川ではありません。両者は確かに違う種類の方言です。ただし両者の境界は実は入り組んでいるようなのです。尾張側の日進・大府などは三河弁的な特徴も混じっているとどこかで聞いたことがあります。さらに名古屋市域でも東部の鳴海などは三河弁色が濃いそうです。もっとも現在は西三河が全体的に名古屋都市圏の組み入れで、両者の境界線も曖昧になっているようですが・・。

 最後に
C南の知多半島。ここは全体が旧・尾張国に属し、北西部の知多市や常滑は名古屋と同質なようです。しかし・・知多でも東岸の半田市は三河弁的な方言が話されているのです!これは筆者の友人で半田市民がいて、彼から直接聞いたので間違いありません。これは知多の南部でも同様なそうです。やはり三河湾沿岸で海域交流が盛んだったためでしょうか・・。ただし知多半島内で尾張弁的な地域と三河弁的地域の境界がどこなのか、現時点では筆者には分かりませんが。
 以上です。このようなことを本編でもより詳しく書こうかと思います。
国宝である犬山城天守と天守から望んだ木曽川。この川が尾張と美濃の境界を形作っている(境界線A)。
有松(名古屋市緑区)。鳴海と共に東海道の宿場町として知られた。近年は伝統工芸の有松絞りと古い町並みを生かした町づくりに取り組んでいる。
 ここから少し離れた豊明市に桶狭間古戦場がある。
長久手古戦場付近を走る「リニモ」。
 名古屋弁と三河弁の境界線Bは、旧国境よりも少し西に食い込んだ、長久手―桶狭間を結ぶ線かもしれない
中部国際空港特急ミュースカイ(常滑市)。この辺りから北側が名古屋弁と知多弁との境界線C)と思われる。
祝BBS開設  投稿者:りんたろう  
  尾張弁の境界ってどのあたりにあるんだろ?愛知県内でもそやし、三重のほうでも。もし時間があればそれも調べてやってちょうだい
テリトリー・オブ・尾張弁1  投稿者:作者 若鷹  
  >りんたろう君へ
君の質問にお答えします。多忙にかまけ遅れてホントごめんなさい・・。ただ大雑把に答えるならともかく、ちゃんと答えるとなると結構ややこしいんです。そうも言ってられませんが・・、まあ本編の予告編のつもりで書きます。
 とりあえず4方向の境界線を考えましょう。
  @西南:三重県方面   A北:岐阜県方面   
  B東:三河方面     C南:知多半島


 最初に
@西南の三重県側から。東日本系の尾張弁VS関西系の伊勢弁の境界は、県境木曽三川)ではっきりしているように見えますが、複雑なのは「長島町」です。ここは従来、文法的には伊勢弁のそれと共通するが、「東京式アクセント」の地域ということで「濃尾接境方言」という独自の方言区画を形成しています。大筋で近畿方言の仲間になるようですが。しかし近年ここはほぼ名古屋と同質化し、桑名にもその影響がかなり及んでいます。アクセントの境界は従来のから、「桑名―四日市間まで南下したようです(境界線@’?)。

 次に
A北の岐阜県側。基本的に名古屋弁と岐阜弁は同類と思われていますが、語尾の「」を中心により関西の影響を受けた岐阜弁は、その点で名古屋とかなり違ってきています。県境の木曽川が両者の県境と言っていいでしょう。ただ尾張側でも、北端の一宮・犬山・瀬戸などは、「〜やろ」などと言う住民が結構いるようで、岐阜から若干の影響を受けているのかもしれません。
 え〜長くなるので、続きは「2」で書きます。

(以上、BBSより抜粋)

図 名古屋弁の境界線

(7)どこまでが名古屋弁? 〜名古屋弁の境界線〜  
                       (R君との対話)

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熱田にある「宮の渡し」。伊勢とは木曽三川(境界線@)で隔てられているため、江戸時代の旅人はここから海上七里を船で渡った。

(熱田)