方言名称 | 三河弁 |
東三河の玄関口、豊橋駅 路面電車が走る豊橋の市街地。 伊良湖岬の道の駅。三河有数の景勝地ということで、大勢の観光客が車でやって来る。知多や伊勢志摩行きのカーフェリーも発着している。 伊良湖岬の恋路浜。島崎藤村の詩によって全国的に知られるようになった。蒼い海と白い波の美しさは変わらない。 |
インフォーマントに「地元の方言名称」を質問したところ、上のような答えが得られた。これから明らかなのは、 しているということである。西三河との違いは意識しているものの、まずは「三河」というまとまりは意識の上で確固として存在していることがうかがえる。現に、「じゃん・だら・りん」など共通点は多い。 (ただし以下では、西三河方言と区別するため、この地方の方言の呼称を 「東三河弁」とする)。 ・しかし「西三河との関係について」質問したところ、 という答えであった。 先に述べたように「家康など西三河の武将たちを地元の英雄とは思わない」という話からでも、この対抗意識の強さはうかがえる。 通常、西三河の住民が東三河をあまり意識しないのに対して、東三河の住民の西への対抗意識は非常に強いものが感じられる。 ・「地元での友人の会話にはどのようなことばを使うか?」という質問に対して、 という答えが返ってきた。 実際に豊橋など現地で地元の若者の会話を観察したところ、特に「〜だら、ら」が多用され、東京語式に「〜よね、じゃん、でしょー」に置き換えられることが少ないということが分かった。実際の会話のレベルでも、上のようなインフォーマントの答えは裏付けられた。聞こえ上、 「東三河では都市部の若者の間でも、東京語とは異なる独自のことばが話されている」 ということは実感できる。 これは西三河の若者の現状とは著しい対照をなしている。西三河では若者の間で東京語色が強まり、特に「〜だら」が使われることはかなり少なくなった。 もちろん、「〜のんほい」などは全く消滅したし、共通語化、東京語への接近が進んだことも事実である。 ・上に関連して、 「東京では地元(豊橋)出身の友人とどういうことばで話すか?」という質問には ということであった。この使い分け行動は興味深い。「地元では気楽なことばとして遠慮なく使うが、外では恥ずかしい」という意識があるのであろう。 なお、「名古屋ではどうか?」という質問には 「方言で話す」 という答えだった。これについては、私も名古屋の地下鉄で東三河から来たらしい女の子の集団が方言で会話した場面も見たことがある。「名古屋はまだ地元の延長」というような意識があるのだろうか。 ただ名古屋に通勤・通学する人が増え(名鉄特急で1時間という利便性)、それがやや東京語に近いスピーチスタイルをとる人の増加につながっているようだ。 現在、東三河弁は若者の間でも堅い地盤を持っていると言えるが、上のような社会変動が大きな影響をもたらすのは間違いない。今後も住民意識を含めて、動向に注目せねばならない。 ・ところでここまで豊橋を中心に話をしてきたが、東三河内部の地域差も気になるところではある。これについては当然ながら、かつては奥三河(北部)や渥美半島では異なる特徴が多かったというが、現在ではその違いもすくなっていると考えられる(ちなみに伊良湖岬(渥美半島南端)は知多半島や三重県の志摩半島と向かい合っているためか、その付近の方言は三河弁色が薄いという)。 以下ではインフォーマントの情報を基に、東三河でも特に豊橋の若者ことばを紹介する。 |
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〜東三河弁のイメージ・言語意識〜
インフォーマント | 豊橋市出身、20代男性 高校まで豊橋在住、 大学以降は名古屋で生活 (調査年次:2004年) |