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遠州弁についての研究や回想を読むと、推量・同意確認の助動詞は「〜ずら」→「〜だら」に変わったことが分かる(ただしこのような変化は静岡県全域、そして愛知県の三河地方でもあった)。次に紹介するのは1973年頃の会話文だが、変化の過程が如実に現れていて興味深い(『遠州方言おもしろ物語』より)。
老人 「寝違えたんか。そんなら首が痛いズラ」 (中略) 子供 「こっちのおじいちゃん、耳がよく聞こえんダラ」 |
それならいつ頃この変化が生じたかだが、1950年代ころらしい。いくつかの回想が手がかりである。また右に挙げたのは、井上史雄による1985〜1988年の東海道沿線グロットグラム調査だが、遠州地域では老人は「〜ずら」、若者は「〜だら」を使う状況がはっきり示されていて興味深い(『関西方言の社会言語学』所収)。
「〜ずら」→「〜だら」という変化の要因は、共通語「〜だろう」の影響か、または一足早く「〜だら」を使っていた東三河弁の影響か判然としないが、両方の要因が複合的に作用したと考えるのが正しいのではないだろうか。
「山だろう」をどう言うか、についての 東海道沿線 年代別調査 |
右になる方が老年層の言い方。「〜ずら(P)」→「〜だら(▲)」の変化が明確に表れている。 |
方言名称 | 遠州弁 | ||||||
浜松駅前の光景。人口80万を越える静岡県最大の都市、東海地方では名古屋に次ぐ都市として風格を感じさせる。 弁天島海浜公園。浜名湖の一部で海水が流れ込むので、夏は海水浴リゾートとしてにぎわう。湖水の向こうに大鳥居と東名高速道路が見えるのは壮観だ。 |
・まず方言名称から遠州の住民意識を分析すると、ということが言える。しかし遠州内部でも生活圏に違いはあり、下のように3つに区分されることが多い。 表6.1: 遠州内部の地域区分
この3区分は当然方言にも反映され、それぞれ少しずつ違いがある 静岡県を「東・中・西」に三区分する通説の区画では、 遠州の西部と北部) 静岡県西部方言 遠州東部) 静岡県中部方言 となっている(『静岡県のことば』ほか)。ここでは遠州東部の方言は静岡市など駿河の方言と同類とされている。またすでに述べたように、浜名湖西の湖西市の方言は東三河弁とほぼ同質である。一方、北部方言は西部と共通点が多いものの、単語や一部の言い回し(動詞の完了形「〜つ (例) 雨が降っつ)」)の面で南信州と似ているということがあった。 本稿では東部と西部の違いについて取り上げることにする。しかし住民意識については、 「違いがあっても、遠州のまとまりを意識する」 という興味深い結果が得られている。遠州は東に大井川、西に浜名湖が境界を形作っているが、これがまとまり意識に深く寄与しているのであろう。 さらに方言名称から、「遠州の方言は独特」という主張がうかがえて興味深い。さらにその主張も気負いなく、リラックスした感じで行われている。 住民が遠州弁独自の特徴と認識しているのは、推量の「〜だら」「〜ら」、断定の「〜(だ)に」といった文末詞である(客観的に見れば、否定の「〜ん」、理由の接続詞「〜で、もんで」も特徴的であるが)。 また共通語(≒東京語)との違い意識は、上の文末詞や一部の単語(俚言)を除けば「割合、共通語に近い、共通語を使うのに抵抗がない」ということになる。 (遠州弁のアクセントは「外輪東京式アクセント」と言って、基本的に東京語と同じだが、所々異なるアクセントも存在する体系だという(※)。また山口幸洋の調査では、浜松市方言のアクセントは東京語と60%一致するという。これらのことから、遠州弁のアクセントで一部独特な感じがする根拠が示されている)。 共通語などと方言の使い分け行動に関しては「地元では方言主流」ということになる。外から見て、静岡県全体で方言が話されている印象がないし、大きな都市である浜松については特にそう思われている。しかし実際には、 のである。もちろん昔に比べて共通語化は進んでいるが、まだ私が観察したところ、独自性は健在と思われる。 |
※ 例えば、
食(た)べる、できる、 ひがし(東)、にし(西)、きた(北)、みなみ(南)
など動詞や名詞のアクセントが、 すべて最初の文字に来る傾向がある。他地方の人にとって、これが違和感を感じさせる最たるものという。 このため、「きた(北)」と言われた時に、誰かが「来た」のかと勘違いされることも多いそうだ。
(ぶんさんの情報を基に加筆。 ここに記して、御礼申し上げます)
インフォーマント | 浜松市出身、20代女性、大学時代は名古屋に進学 (調査年次:2005年) 掛川市出身、20代男性、大学時代は名古屋に進学 (調査年次:2006年) (旧・小笠町) |
〜遠州弁のイメージ・言語意識〜
・方言イメージ、地域意識 @地元民の自意識