トレドはマドリードから高速道を使って1時間足らずの距離である。非常に近いと言えるが、到着時間は既に4時。これで見学する時間はあるのか不安になった。
 
 最初の目的地は街の南側にある丘である。ここはトレド全体を展望できる有名なポイントだそうだ。
 ここでいきなり夕方近くにツアーを設定した理由を知った。街全体が日に照らされて非常に美しく映えていたのだ!(写真1)参照) この景色を見せるためにわざわざこの時刻に到着するよう設定していたわけである。
 幸先が良かったが、この後も非常に楽しく見学できた。
 
 さてトレドの街を展望して分かったのは、東南西の三方を川タホ川に囲まれた天然の要塞ということである。中世の昔において川が堀になっているのは防衛上かなり利点であった。また街が丘の上で建てられているので、遠方の敵を望見することもできた。
 ただし現代の旅行者にとっては、坂が多くてかなり歩き疲れることは言うまでもない。さらに路地が狭いのに車が走っているので、ヒヤヒヤして歩くことになる。しかし500年前から同じ街並みなのはかなり旅情を感じられて良い。「街ごと世界遺産」なのは納得だ。
 街も人口7万人のわりに活気が感じられた(後で分かったが、住民の半分以上は新市街に居住しているという)。  

ところでこのツアーの最中に神戸から来た老夫婦と仲良くなった。私が苦労の末ようやく旅行に出ることができた旨を言うと、いたく共感してくれた。また「若いうちに広い世界を見ておいたほうがいいですよ」とアドバイスしてくれた。
 この夫婦とはその後2回会うことになる。

 

 最初に見学したのは「大聖堂」である。トレドは一時スペインの首都が置かれたため、この大聖堂はスペイン・キリスト教の「総本山」として建設された。マドリードへの遷都後もその機能は保たれた。現在ここでスペイン国王の戴冠式も行われるという
 「総本山」だけあって、その内装は豪華なものである。他の大聖堂とも共通するが、金の装飾がやたら多く、きらびやかである。また「天にも届かん」とばかりに、天井が高々としている。エル・グレコをはじめ宗教画も神々しさをかもし出している。ここもむろん「世界遺産」である。
 こういう所の常として「撮影禁止」なので、写真をお見せできないのは残念だ。是非ガイドブックで確認してほしい。
 なお、16世紀ここに日本から来た「天正少年使節」が訪れたという。信長から秀吉に移り変わる時代に日本の少年達がここを見て、度肝を抜かれたと思うと愉快だ。確証はないが、画家のエル・グレコとも対面したらしい。

 さて、この街はローマ時代から既にスペイン中部の拠点都市として形成されていた本格的な発展は中世初期に西ゴート王国の首都となったことによる。この王国はローマ帝国崩壊後に進入したゲルマン人の国家だが、キリスト教を「国教」とし、トレドは多くの教会建築で飾られた。
 こうした経緯からトレドはスペイン・キリスト教の中心地となり、8世紀にイスラーム勢力の支配下に入った後は、キリスト教勢力から「奪還目標」と見なされた。

 しかしトレドは、イスラーム勢力の下でも繁栄していたのである。
 イスラーム帝国の首都はコルドバに置かれ、その重心は一貫して南スペインのアンダルシア地方にあった(コルドバの項の図5参照)。しかしトレドも中部の拠点都市として、多くの人が集まり繁栄した。

 忘れてはならないのはイスラーム支配下といっても、キリスト教徒、ユダヤ教徒は税をある程度納めるだけで信仰を保持できたことである。特にユダヤ教徒はもともと金融業に就く者が多く、キリスト教徒から蔑視されていたが、「商業重視」のイスラーム政権の下では、その経済的才能をより発揮できた。
 またイスラーム教徒と言えばすぐ「アラブ人」と連想されるだろうが、実はその数は少なく、多数を占めていたのはスペイン人キリスト教徒からの改宗者だった
 とは言え、イスラーム政権は改宗を強要しなかったこともあって、多数はキリスト教徒のまま留まった。 (続く)

トレド

ハイブリッドな中世都市(前編)

世界遺産トレドの全景。市南部の丘は絶好の展望箇所だ。
トレドを天然の要害たらしめるタホ川。中世様式の橋も素晴らしい
スペイン・キリスト教の総本山、トレド大聖堂
次ページへ