海外の名刺事情

(3)

南信州の方言って、どんな感じ?

~南信州の方言意識・地域意識~

ここでは南信州の方言についての意識・イメージ、さらに地元と周辺への意識について分析する。参考のため、信州の他地域との比較も行う。

インフォーマント) 飯田市出身、20代男性(高校までは地元、大学以降は名古屋に在住)
          (調査年次 2006年)

※ 最近では、交通安全ステッカーに飯田方言を使ったものが発売され、人気を集めているという。人気の理由は「普段の自然な言葉づかに惹きつけられる」という。(地域語の経済と社会第240回より)

 例)・子供乗せとるもんでらんごくな運転はしんに(子供を乗せているから、乱暴な運転はしないよ)

方言名称   下伊那しもいな

飯田線の車窓から。列車が山間を幾重も越えると、美しい水辺に遭遇する。静岡と長野の県境付近にて。


JR飯田線の特急伊那路」(天竜峡駅にて)。三河の豊橋と南信州を結ぶ。山間の道をおよそ2時間走り抜ける。



天竜峡の光景
(飯田市)。背後に南アルプスを遠望する。天竜川は諏訪湖を源流とし、遠州灘(静岡県沖)まで続いている。渡し船で荒々しい岩場を抜けながら多くの行商や旅人が行きかい、東海道を目指した。この光景が南信州のアイデンティティである。
まず方言意識から見てみよう。 

・「地元の共通語とは異なることばを何と呼ぶか?
という質問に対し、インフォーマントが即座に答えたのが上の名称である。「下伊那とは飯田市を含む下伊那郡から来た地域名である(伊那谷の南部ということ、伊那市や駒ケ根などは伊那谷の北部ということで上伊那郡」)。
ここから分かるのは、地元での日常生活では 「下伊那地方」という生活圏のまとまりを意識し、 「長野県」「信州」への所属意識は弱いということである。「長野県または信州への所属意識は外部に出た時に表に出るようだ。

 方言のイメージについても 地元のことばを「のんびりしている」ととらえているが、その評価は好意的だ地元の友人との気楽なことばとして機能しているという。(※)
 若者は東京語化が進んでいるようだが、現地で筆者が観察したところ
若者でも「~ら」「~とる」「~ん」など 目立つ特徴は保たれている

信州の他地域との方言との関係だが、
上伊那(伊那地方北部、伊那市や駒ケ根市など)とは似ているが、違う」ということだった。「伊那地方」というより大きなまとまりを感じるものの、少し距離感があるようだ。伊那地方北部の伊那市については中信方言」に属し、動詞の進行形も東日本型の「~(てるであるなど下伊那弁とは目立つ違いがある(他の言い回しでは大部分が共通)。単語についても異なる部分があるようだ。

 それより遠隔地については、「松本の方言は違うし、きつい」と感じるという。同じ「信州(長野県)」といっても、遠隔地との交流は少ないということである。
 信州全体で言えることだが、

”信州”というブランドは共有するものの、盆地世界ごとに個性が強く、地域間対立もある

という傾向が反映されている(だからこそ県歌信濃の国」で一体感を作るということだ)。

・次に共通語≒東京語との違い意識についてたずねると、
共通語≒東京語とは明らかに違うという意識が明確である。このため、「地元では方言、外部では共通語≒東京語というはっきりした使い分け行動を取ることになる。もっとも、アクセントや発音、文法の基本でも共通点は多いので、それほど難しい使い分けではないらしい。

・名古屋弁との違い、共通点についてたずねると
名古屋弁とは違うが、通じる部分も多いとのことだった。
また、より近い三河(愛知県東部)との関係をたずねると
三河弁と地元のことばは似ていて近い。すでに述べた「三遠南信地域交流」をことばの面から裏付けている。
 「三遠南信」と言うなら、遠州(静岡県西部、浜松など)の方言とも近そうだが、三河弁との類似が強調されがちなのはなぜだろうか。考えられるのは、目立つ特徴が同じこと、主要交通路の存在である。下伊那弁と三河弁を比較すると、以下のように言える。

推量の「~だらのほかに、動詞の進行形「~(とる」、否定形「~など共通点が多い

三河との道は、山を越えて豊川に沿った街道である。伊勢参りのルートであり、京都とも通じる道だったので、行き来はさかんだった。三河と下伊那地域の交流もさかんだったようだ。
 一方、遠州とは天竜川でつながっているが、やや険しい道であり、その先も荒波の遠州灘があるので、非常に密接な関係というわけではなかったのだろう。境界地帯では交流は多かったようだが。
 
 もっとも動詞の命令形については三河のように「~り)んではなく、遠州と同じ「~ない」であるし、下伊那弁の特徴と言われる終助詞「~(も遠州の方がよく使われている。この分布状況は興味深い。

 なお本項の範囲外だが、伊那市など上伊那地方の人も「三河弁と地元の方言は近い」という認識であることが確認できた。

伊那谷道中(飯田市)にて。江戸期から昭和初期までの伊那地方の宿場を再現している。写真は三河とつながる「中馬街道」の宿の様子。


飯田駅。赤い屋根が印象的。南信州最大の都市(人口10万人)で交通の中心である。
 リニア新幹線の駅は、ここから数キロ離れた郊外に建設されることが決まっている。
  一方、地域意識については以下のようになった。

最寄りの都会は”名古屋で経済的つながりも深い
鉄道では大回りになるが名古屋との高速バスでの行き来は非常に多く、同じ県内でも松本・長野市は遠くて不便だという。
 さらに飯田線を通じて三河との交流も少なくない
 総じて見ると「東海地方とは近い」という意識は大きい。南信州では購読する新聞は「中日新聞」、プロ野球は「中日ドラゴンズ」のファンだという人が多いという(長野県地元紙の「信濃毎日新聞」も増えているようだが)。

 タレントの峰竜太下条村(飯田市の南方)出身だが、

地元は名古屋とのつながりが強く、中日ファンが多かったので、自分もそうなった
と言っている。

 名古屋はじめ東海地方の人にとっても、飯田などは日帰り観光のなじみあるコースである(行政の観光関係の部署でも静岡含む東海4県との連携を行っている)。

 ただしこのように名古屋と関係が深いのは飯田など下伊那地方までで、上伊那地方では東京との関係が深くなるという(中日ファンは結構いるらしいが)。

・飯田などにおいても進学・就職では東京というのが圧倒的だという。テレビ放送でも東京、ないし長野県のものが多いようだ。

 最後にインフォーマントが教えてくれた、東京・名古屋など他地域との距離感について地元の人の反応を紹介しよう。

東京、長野市の人に対し 「えれー遠くからわざわざ来たなー
名古屋の人に対し     「えれー都会から来たなー
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