(2) 〜”名古屋弁”のイメージ〜
・自己イメージ
方言名称 | |
名古屋駅前の光景。上の左手には「大名古屋ビルヂング」。 下写真の中心は'07年にオープンした「ミッドランド・スクエア」。 そのさらに右手に名古屋モード学園ビルがある。 同じく名古屋駅前の光景。ルーセントタワーなど個性的なビルが建てられ、オフィス街として新たな発展が始まっている。 |
方言名称は言うまでもなく上の通り。かつては「尾張言葉」「尾張弁」という言い方もあったかもしれないが、名古屋が巨大化するにつれて「名古屋弁」が周辺を圧したかのようだ。もっとも「名古屋弁」の内容は結構複雑・・。というのも地元民にとって「名古屋弁」とは、いわゆる「みゃあみゃあきゃあぎゃあの純粋・名古屋弁」を指す場合がほとんどだからだ。今名古屋の街中で普通に話されていることばを「名古屋弁」と考える地元民はあまり多くない*。が若者名古屋人の間で一般である。 よそ者が「共通語と結構違うよ」と突っ込んでみたら、「つーか、普通にしゃべっとるんだって!」と現代名古屋人は応酬する。「普通」とは、「多少共通語(東京語)と違う特徴はあっても、大して気にならないだろう」ということらしい。要するに、と思われている。 もっともそんな名古屋人達も東京などに外に出たら、今の自分達のことばを「名古屋弁」と考えるようになるらしい。タレントの加藤晴彦が 「自分もイチローさんも二人でしゃべると、イメージが崩れるくらい名古屋弁で話す」 といったようなコメントを新聞で言ってた。 なお、ここで言う「名古屋弁」は名古屋市内だけでなくその周辺のことばも含めている。昔は色々細かい違いが多かったようだが、今では差はほとんどない。もっとも周辺部ほど名古屋中心部に比べて方言色が濃い、という違いはある。ただし「知多半島」は別に考えなければならない。 ここでさらに名古屋弁と共通語の使い分け行動について見ると、 となる。 若い世代は特に地元・名古屋での友達同士の会話でも、東京語に近いことば(共通語をベースに名古屋弁の特徴を散りばめたことば)を使っているため、使い分けと言っても、ごくわずかな要素のみ方言形と共通語形を入れ換えるだけ、ということである。 彼らは、意識面でもあまり共通語的に話すことに抵抗がない。元々の名古屋弁も東京式アクセント、断定文末詞が「〜だ」など共通語(≒東京語)との共通点が多かったし、また都市化によって共通語主流社会となり、地元での公的な場面では共通語的に話す習慣が付いているということもある。 以下では、「今、名古屋の街で自然に話されており、方言色の濃いスピーチスタイル」を「新・名古屋弁」とする。これに「共通語(東京語)がいくらか混じったスピーチスタイル」を「現代名古屋弁」として区別する(若者のそれは「若者名古屋弁」)。 |
・外からの目
* もっともあるアンケート調査で「最近の名古屋の言葉はどう変わったか」という質問に対して、「名古屋的だが変わった」という回答が最も多かったそうである。
共通語主流社会の人 (東京など) |
東京や静岡の人に「今の名古屋人のことばは共通語と同じと思うか」と質問したことがある。そしたらたちまち「No!]という答えが返ってきた。やはり後で説明するような、いくつかの言い回しや単語が耳に付いたようである。 もっとも「では名古屋人と話していて違和感を感じるか」という質問には、「あまり感じなかった」という答えであった。 |
方言主流社会の人 (関西、東北など) |
三重県出身の筆者からすれば、今の名古屋人のことばはきわめて共通語的なことばであった。 関西方面から来た人も「全然名古屋弁をしゃべってない。共通語でしゃべってる」と多くの人が口にする。 ちなみに筆者の先輩で山形出身の人がおり、仙台の予備校に通っていたというので、若者の仙台弁はどんなのか質問したことがある。すると 「仙台の若(わけ)えヤツはあんま方言使わねがったなあ。名古屋と同じだな」 と言った。 |
2200万人を集めた「愛・地球博」(愛知万博)。万博は名古屋をどう変えたのか・・。下は会場跡地に作られた万博記念公園の大観覧車。 |