ホテル志摩スペイン村。ホテル全体が地中海岸のイメージで造られ、リゾート気分を演出している。
熊野古道(熊野市)。山間の石畳が巡礼道と自然の神秘さをかもし出している。2003年に世界遺産となって、観光客が増加している。
A三重県って東海? 近畿?

私は愛知県の大学に入ったが、あるとき地理の教師が下のようなことを言った。

三重県は名古屋にも付いたり、関西にも付いたりする"コウモリ"みたいなもの

これを聞いて内心激怒したが、表立って反論はしなかった。その反論をここで書く。
 
 しかし通常は愛知・岐阜とともに東海地方とされているのに(行政の区分けなどでは静岡県も入れる)、地理教科書では近畿地方となっている。地元民もどっちなのか?と言いたくなる。答えは  近畿と東海どちらにも属す
 歴史的に見れば、奈良時代の地域区分で

伊勢、志摩、伊賀 ) 東海道           ・紀州 ) 南海道(四国全土を含む)

となっていたが、平安時代以降、京都周辺の国ということで「畿内近国」と言われることが多くなった。これが「近畿地方」とされる由来だが、方言も全土が関西弁と同じく近畿方言」なので、妥当な区分だろう。
 要は交通路が交差しているので、東海とも近畿とも関係が深いということである。大雑把に北部は名古屋と関係が深いが、中南部は関西と関係が深いと言える。こうしたことを受けて、三重県全体としては、中部地方と近畿地方、両方の広域協力に参加している(近畿地方には福井や徳島が参加することもある)。その意味で上の教師の評価は、各地域の事情を無視した乱暴なものだったと言える。

 付け加えると、「関西の領域は近畿よりも狭い。「関西」とはもともと、鈴鹿関(亀山市関町)不破関(岐阜県関が原町)を結ぶ線より西、つまり滋賀県より西の地域を指す地方名である。したがって三重県はもとより関西に入らない(大阪通勤圏である伊賀地方では「伊賀は関西」という主張も行われるが)。
 
 余談ながら、プロ野球の中日と阪神のファン分布も、北部は中日ファンが多く、中南部は阪神ファンが多いという傾向がある(巨人ファンは全土に満遍なくいる)。
 

三重県の方言は「なーなー」「やんやん」?

最初に述べたように、三重県は伊勢志摩伊賀紀州東部と4つの国が合わさってできたものである。行政や経済に関する地域区分もまず旧国を基にしている(図4.1参照)。もっともこのうち伊勢は下のように北・中・南で三分される北勢、中勢、南勢とするのが通常だが、他地方の人にも分かりやすく以下の地域名で統一する)。

 北伊勢 桑名、四日市、鈴鹿など     中伊勢 津など    南伊勢) 松阪、伊勢市など


 方言区分も上の地域区分とほぼ重なるが南伊勢についてはズレがあるので、注意が必要だ。
 三重県の方言は全域が近畿方言に属すと書いたが、さらに細かく分けると、下の図4.2のようになる(煤垣(1962)より定説となったものを採用、『三重県のことば』、および鏡見明克(1990)をもとに掲載)

     図4.2: 三重県の方言区分(表と地図) 

上の南伊勢方言は度会郡の大紀町と南伊勢町などを領域とし伊勢市と松阪は北・中伊勢方言に含まれるのである。また濃尾接境方言とは愛知県に接する長島町(桑名市)の方言であり、東京式アクセントの例外的な地域である。

 なお、「東近畿方言」には京都府(主要部)と滋賀県の方言が属し(私からすると、「京都や滋賀ってあんまり仲間みたいな気がしやん(しない)がなあ」と思った)、「南近畿方言には和歌山県と奈良県南部の方言が属している

三重県方言の代表として伊勢方言がよく取り上げられるが、「伊勢のナアことば」と呼ばれることが多い。これは伊勢方言で間投詞「なあ」(それでなあ、など)が頻用されることを指しているそうだが、正直私は「”なあ”は特徴と言えるのか疑問だ」 と思っている。それ自体は関西弁でも四国方言の一部でもよく使われるので、伊勢で特徴的ということはないだろう(なお、志摩や東紀州では「〜のー」が使われるという)。

 その一方、「やんやん」が特徴 と言われることも多い。「〜(ないじゃん」を「〜(やんやん」と言うように、動詞の否定形「〜やんと同意確認の助動詞「〜やんが頻用されることは三重県方言の特徴をよく捉えているし、私は妥当な評価と考えている(以上は伊勢地方だけでなく、全県的なものである)。

 ところで『恋の空騒ぎ』で有名になった宝満円(鈴鹿市出身)のことばの特徴から、明石家さんまが「三重県のことばは”たん”と言うのが特徴か?」と言っていた。これは宝満の「行ったん」「言うたん」というコメントを捉えてのことらしいが、通常三重県民なら行ったんやわ」「言うたんさーと言うことが多い。上のセリフは彼女特有の口ぐせ、と言えよう。

三重県の地域区分

次ページへ
鳥羽湾の朝の光景。志摩半島はリアス式海岸の代表地として知られ、風光明媚な景観だけでなく、良質の漁場でもある。
伊賀上野城。築城の名人、藤堂高虎によって築かれた。石垣は現在でも当時の威容を伝えている。ただし天守閣は江戸初期に破損し、現在のものは昭和初期にできた模擬天守。

先頭ページへ戻る