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三河弁って、どう話すの?
豊田市の駅前の光景。トヨタ自動車の本拠地らしく、整然とした街並みが特徴的。
西三河の主要河川"矢作川"。豊田市にて。

「〜だってだわ」(〜だよ)
・『純情きらり』は、岡崎が舞台になっとるんだって
・その時、風呂に入っとったもんで、(電話に)出れんかったんだって
・花火大会の場所取りに行ったら、とっくに一杯になっとっただって
・来週は出張で東京行かなかんのだわ。だで、そっちには行けんわ。
・来月、豊田スタジアムで試合があるんだわ。見に行かん?

(〜だよ)の意味の断定の語尾。これは名古屋と共通する。「〜だわは元から使っていたが、名古屋の影響で「〜だっても使うようになったようである。意味はほとんど同じだが、名古屋弁のところでも述べたように、「〜だって」は相手に言い聞かせるニュアンス、「〜だわ」は自分の感情を一方的に言うニュアンスで使われる。語調的には「〜だって「〜だわである(「〜だよ」も用いられる)。



◎「〜
じゃん」(〜じゃない;同意確認)
・あそこにビルが見えとるじゃん。それを右に曲がればいけるよ。
・そんなこと、できんに決まっとるじゃん
・こないだ、北海道に行くって言っとったじゃん?どうだった?
・やり方知らんみたいだから、教えたらな(い)かんじゃん

 「じゃんだらりん」という"三大三河弁"の筆頭。しかし今や全国の若者が使っており、教科書的には"標準語"と言えないまでも、完全に"共通語"としての資格は得ている。ただ「しとるじゃん」というのが、いかにも「三河弁」という気がする。私が刈谷に来た頃、中年の人ができんじゃん」などと言っているのを聞いて、カルチャーショックを受けた記憶がある。もっとも老年層ではさほど多く「〜じゃん」を使っていたわけではなく、別の言い回しを使っていたらしい(後述)。
 これが出現したのは大正頃らしい(だから家康はそうではないか」は言っても、「そうじゃんと言ったはずは無いのである)。初めは「〜じゃんか」と言っていた。三河弁では、西日本式に否定を「〜」(「言わない→ 言わ」「分からない→ 分から」のように)で表わす。おそらく初めはこの対応関係に注目して、たわむれに「〜じゃないか→ 〜じゃんか」のように言うようになったのではないだろうか。
 なおこの言い回しは、三河から東の東海、中部地方の広い範囲に渡って分布している。すなわち、静岡長野山梨、さらに神奈川といった辺りである。
 東京へは1970年代初頭頃に入ったらしい。直接的には横浜からの流入なようだ。「〜じゃん」=「横浜ことば」というお洒落なイメージからたちまち広がったのだろう。東京語の威光で今や完全に共通語"とされるまでの扱いとなった。三河弁が全国に広がった一例と言えるが、逆に「三河弁の東京語とのボーダレス化」を助長し、その独自性を失わせるきっかけになったとも言えよう。



◎「〜だら」(〜だろう、でしょう、だよね;推量、同意確認)
                                  〔〜(よねじゃんでしょー、とも〕

君、田中さんだら?僕のこと、覚えとる?
・そう思うだら。俺もそう言ったったんだって。
・これ置くのそこだら
・ほだらー!絶対そう思うよね?!
・東京まで見に行ったの?なんかハマッとるだら

三大三河弁の一つ。推量同意確認の意味合いを持つ。「三河弁といったら、これ!」と言われるほど代表的な特徴である。「〜だらー」と伸ばすこともあるが、通常は「〜だら」と軽く切るように言う。共通語では「〜だろう」の意味だが、「〜だろう」→「〜だらと機械的に置き換えられるわけではない。そのことは後述する。さらに言えば、現在はあくまで文末詞としてのみ用いられるである。「〜じゃん」と近い意味を持つが、情報の確実度の強さは、「〜じゃん「〜だら」、である。

 なお以前には「〜ずら」を使っていた。牛山初男の1954年の調査(『愛知県の方言』所収)からも裏付けられる。『豊田市の方言』『三河ふるさと辞典』によれば山間部で「〜ずらがわずかながら残っているという。。
 前述したように『日本大文典』によれば、家康の時代には確実な推量と意志の意味で「〜であらんず」を使っていたという。これは古典語の推量・意志の助動詞「〜むず」に由来し、江戸期の雑俳などの資料から以下のように変遷したようだ(『〜近世期方言の研究』参照)。

  「〜であらんず」 → 「〜であらうず」 → 「〜だらあず」 → 「〜だらー

一方「〜ずら」は、語源的には古典語の「〜つらむ」(完了助動詞の「〜」+推量「〜らむ」)に由来し、「過去の出来事の確認・推量」の意味合いで使われていたようだ。この点で江戸から明治にかけては「〜であらうず」「〜ずら」の併用状態だったことがうかがえる。それが次第に「〜ずらに統合され、さらに共通語「〜だろう」の影響で大正頃に都市部から次第に「〜だらに変化してきたのだろう。

 しかし現在西三河の若者から「〜だらを聞く機会はそれほど多くない。「〜(よねじゃんでしょーなどに置き換えられることが多いのが実態である。私はかつて刈谷に住んでいたのだが、「〜だら」を聞いたのは数えるほどしかなかった(上の例文はその数少ない実例、 刈谷の女子高生が「ほだらー(そうでしょう)」と言ったのはビックリした(笑))。さらに西三河の主要都市である岡崎でもあまり聞かないのはかなり衝撃的だった。インフォーマントによれば、「親しい友達との会話で使う感情を込めた時のことば」とのことで、都市化でコミュニケーションが広域化すると「〜だらを出しにくい状況が生じているらしい。その原因を辿ると、今や西三河も全体的に名古屋の通勤圏となり、名古屋と歩調を合わせる形で「東京語とのボーダレス化」が進行しているということであろう(もっとも豊田市の中高生から「〜だら」が結構聞かれたのだが、使用状況は西三河でも一様ではないようだ)。
 
 なお「〜だら」の使用地域は、三河全域から東に、静岡長野に渡っている。さらに興味深いことに、西の山陰地方、但馬(兵庫県の日本海側)、鳥取出雲(島根県東部)でも使われているという。

「〜だろう」(推量)
・仕事が溜まっとるんだろうけど、ちょっと手伝って欲しいんだわ。
・ほだらー!それぐらい常識だろうって思うよね。
・予報で雨って言っとっただら。だったら明日は野球はできんだろうね

上で、「必ず「〜だろう」→「〜だら」になるわけではない」と言ったのはこのことである。上の文例でも、かつては「〜だらあ」を使っていたことは『豊田の方言』『三河ふるさと辞典』から確認できる。しかし現在では共通語化によって文中では「〜だろう」を使い、「〜だら」は同意確認の意味で文末にのみ使われるようになっている。
 この辺り、東美濃方言の「〜やら」と「〜やろうと共通するようである(4.3(3)参照)。
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豊田市の挙母ころも。現在は豊田市美術館内に復元された櫓がある。
豊田大橋と豊田スタジアム
香嵐渓(豊田市足助町)。足助は、信州へ向かう街道の宿場町として栄えた。この辺りには宿場の古い街並みが残っている。

〜西三河弁の話し方・言い回し〜

西三河の方言について記述していく。 インフォーマントの出身地である刈谷岡崎で若干違う部分もあるが、適宜説明を加える。
名古屋弁とも共通する進行の「〜
とる」、否定の「〜」、「〜いかん」、理由の接続助詞の「〜もんで」などについては省略し、特徴的な語法について述べる。

デンパーク(安城市)。 「日本のデンマーク」と呼ばれ、酪農など近代農業を発展させた安城ならではテーマパーク。