さてその東三河の方言(以下、「東三河弁」と呼称)だが、「のんほい」が特徴だと言われることが多い。これについて説明するため、(そうだねえ)に当ることばを尾張、西三河、東三河でそれぞれどう言うかの比較を行う。下の表のようになる(5.1で載せたものの再掲)。

尾張 西三河 東三河
そうだなも そうだなん そうだのん

これで分かるとおり、「〜のん」は(〜ねえ)に当る。これは西三河の「〜なんとは異なる東三河弁のと特徴なのは明らかだ(尾張藩の武家言葉でも「〜のん」を使ったが、これとの関係は不明である、第1章参照)。
 一方、「ほい」は呼びかけの(おいやあ)に当る間投詞である。文頭にも文末にも使える。

例) ・ほい、今日は暑いのん
   ・それでのんほい

 図5.4 :東海道における
   東西方言の境界地図

上で述べたのはいずれも伝統方言の話で、東西三河とも共通語化が進む中で若い世代には特徴として認識されにくい。そんな中で若い世代でも東西三河の違いとして知られているのが東三河では「〜ら」を使うということである。ここでは東三河弁の西三河弁との違い、そして共通点はどこかについて説明する。

 まず「そうじゃん」「雨だら」「食べりん」など「じゃんだらりん」は東西三河で共通と言える。他に進行の「〜とる」、否定の「〜も共通している。
 しかし東三河では「〜を使うのは西三河とは明らかに違う。ところで、これについては個人的な思い出がある。私は大学に入って愛知県に来るまでは、「三河の中で違いがある」ということを知らなかった。しかし大学で東三河出身の先輩(それぞれ豊橋市田原市の出身)から

「うちの地元では”そーらー””言っとったらー”」とか言うよ」

と聞き、ここで初めて東三河弁の個性を知ったのである。
 このように東三河は「〜だら」に加えて「〜ら」も使うことは東三河弁の著しい特徴として若い世代にも受け継がれている(東西三河の間では俚言(方言単語)でも様々な違いがあるようだが、ここでは取り上げない)。
 「〜だら」と「〜」は同じく推量の語尾だが、用法やニュアンスで差がある。その理由は語源にあるのだが、それは後述する。

 なおこのように「〜だら」と「〜ら」の併用は静岡と長野につながる特徴 である。以下の章でもその観点から適宜説明する。




※ 2013年に放送されたテレビドラマ『みんなエスパーだよ!』(テレビ東京系深夜枠、染谷将太、夏帆等出演)は東三河を舞台としており、登場人物のセリフも東三河弁だった(監督の出身地が豊川市)。

伊良湖岬の灯台(田原市)。蒼い海と白い灯台の組み合わせは日本有数の絶景だ。

〜東三河の方言〜

目次
(1)同じ三河でも大違い?! 〜東三河弁と西三河弁の違い〜
5の先頭ページへ
豊橋市の駅前の光景。 人口38万人を抱える東三河の中心都市である。

東海・中部地方は東日本方言と西日本方言の「漸次移行地帯」である。その一つの境界線西三河と東三河の境ある。左の図の境界線Aがそれである。この境界線は旧・東海道では「藤川―赤坂」の間であり、現行の行政区域では蒲郡新城の西の境界線に当る(地形的には三河高原に連なる山地が広がっている)。すなわち形容詞のウ音便の有無が東西三河の方言の違いということである。 ここから言えるのは次の二つである。
形容詞は「東日本式」
西三河のみ「ウ音便」
このように東西方言の境界線の一つが東西三河の間にあるのは興味深い。

そして(早く行きなさい)をどう言うかを比較すると、次のようになる。

尾張 西三河 東三河
行きゃあ 行きん 行きん


以上から、「のん、ほい」は東三河弁の一大特徴であることが分かる。この二つが他地域の人にも耳に付くので、東三河の地域的象徴とされるのも不思議ではない。
 ついでながら、豊橋総合動植物園の愛称は「のんほいパーク」である。

(2)三遠南信交流の夢 〜交通の十字路 東三河の地理〜

(1)

(1)東三河ってどんな所?

〜東三河弁と西三河弁の違い〜

(3)長篠燃ゆ 〜大勢力のはざま 東三河の歴史〜
(4)東三河弁ってどんな感じ 〜東三河弁のイメージ・言語意識〜
(5)東三河弁ってどう話すの? 〜東三河弁の話し方・言い回し〜1
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東条操『日本方言学』より作成

A静岡・長野とは隣同士?! 三遠南信ネットワーク

5.3

「界を越えて」の夢と現実

ここでは東三河の方言について述べるが、その前にこの地域の沿革を説明しよう。
 東三河とは、愛知県の東端部の地方で、その名の通り旧・三河国の東部である。中心都市は豊橋市。他に豊川蒲郡田原新城などの市から成る。豊田・岡崎など西三河が矢作川水系なのに対し、東三河は豊川水系である。

 三河全体が名古屋など尾張の陰として扱われることが多いが、東三河はさらに西三河より脇に追いやられる傾向がある。西三河は徳川家康の故郷としてアピールできるが、東三河はあまり全国に知られているものがない。
 しかし少し調べてみると、蒲郡伊良湖岬(田原市南部)など景勝地はいずれも東三河にある。また織田信長が鉄砲で武田軍を破った長篠の合戦の舞台は、「奥三河」と呼ばれる東三河の内陸部である(新城市)。有名人も数は多くないが、松平健(俳優、豊橋市出身)、光浦靖子(タレント、田原市)などがいる。最近で若手俳優の山本祐典(豊川市)がブレイクしているし、女子ギターロックグループのポタリに至っては豊橋を拠点に活動し、トークでも東三河の方言を使っている。すでに述べたように、歴史小説家の宮城谷昌光は蒲郡出身である。

 このように知られざる個性的な東三河のことばとその魅力を語るのがここでの目的である。(※)

@同じ三河でも大違い? 西と東の差異
蒲郡竹島。三河湾を望む東三河の代表的景勝地で、古くから和歌の題材としても知られた。
吉田城(豊橋市)。東三河の拠点として建設された。豊川に面して、景観も素晴らしい。現在は隅櫓のみが残る。
B東三河は「じゃんだらりん」+「らーらー」?!